
中工精機100年史
中工精機100年史
ー History of CHUKOH SEIKI ー
1925 – 2025
1925年(大正14年)4月、稲津鉄工所として稲津村(現:瑞浪市土岐町)で創業した
中工精機は、2025年に創業100周年を迎えました。
ご挨拶
「不易流行」の原点胸に、次の100年へ
「不易流行」という言葉を聞かれたことがあると思います。
変わらない本質的なもの(不易)と、時代や状況に応じて変化するもの(流行)を調和させる考えです。江戸時代の俳人、松尾芭蕉の理念として知られており、禅宗の教えに影響を受けて発展してきた「不易流行」こそ、当社の創業以来の信条です。

第1章 創業期 1925(大正14)年ー1942(昭和17)年
創業期
窯業が盛んな東濃地方に生まれた工藤春三は、地場産業の中で技術を学び、持ち前の研究心を発揮して、中工精機の前身である「稲津鉄工所」を創業する。
窯業に不可欠な粉砕機を製造するが、戦争によってその製造は一時断たれ、軍需工場として航空機部品を製造しながら、息を潜めざるを得なかった。
第1章 創業期第2章 確立期 1943(昭和18)年ー1970(昭和45)年)
確立期
日本が敗戦から復興を遂げる中で、東濃地方の窯業も徐々に息を吹き返していく。
当社は窯業機械の本業に復帰して技術を高め、 大型案件へも事業範囲を広げていき、それと並行して、春三は地域の産業をも牽引していった。
第2章 確立期第3章 躍進期 1970(昭和45)年ー1991(平成3)年
躍進期
1970年代には、韓国、香港、台湾、シンガポールが日本を追い掛けるように急速な経済発展を遂げ、
新興工業経済地域(NIES)と呼ばれるようになった。
1980年代に入る頃には、東南アジアの各国も工業化の推進によって急成長していた。
当社はこうした追い風の中、1960年代から積み重ねたアジアのプラント向け輸出で、着実に業績を拡大した。
さらに半導体市場の伸長に合わせてファインセラミックス向けの製品、バブル経済の建設需要拡大に応えて建材タイル向けの製品を販売するなど、窯業の変化に合わせて、時流に乗った製品開発で大きく飛躍していった。
第4章 発展期 1991(平成3)年ー2024(令和6)年
発展期
バブル経済の崩壊、リーマン・ショック、そして新型コロナウイルス感染症の蔓延と、経済や生活を脅かす変化の中で、当社も幾度も大きな苦難に見舞われた。
しかし、窯業だけではなく新たな市場を開拓し、一品一様の受注生産を進めていくことで、着実に成長を続けることができた。
また、工場の拡大移転や積極的な設備投資によって、当社は「大型ボールミルは中工精機」と認知されるようになり、機械加工の分野でも地位を確立していく。
100年の歴史の中で培われた技術と信頼、そして挑戦心を絶やさずに、当社は次の100年へと進んでいく。
トップインタビュー
次の100年を見据えて
一時の勢いを失いながらも、新たな活路を見出そうとしている東濃地域の窯業。
一方で地場産業の変化の中で巧みに事業を変革し、
窯業に加えて新たな市場でも存在感を発揮しようと歩みを進めている中工精機。
会社は何を目指し、どこへ向かうのか。
地域と世界の現状を踏まえたこれからの100年を見据えた展望を、工藤好功代表取締役に伺いました。
若手社員座談会
中工精機の強みや課題、そして今後の展望について
100年の歴史の中で、独自の技術を育み独自の市場を開拓してきた中工精機。今後の100年はどのように変化し、発展していくのか。設計や製造、保守、総務など、それぞれの分野で会社を支える皆さんに、会社の強みや課題、そして今後の展望について自由に語り合ってもらいました。
歴代のサラメシ
サラメシとは
取締役の工藤靖子の発案により2017(平成29)年から当社で提供している、いわゆる「社食」。
メニューの立案から調理まで靖子一人が腕を奮っている。社員からの評判はすこぶる上々で、靖子のやりがいと従業員の心身の健康維持につながっている。健康経営を特徴の一つとしている当社ならではの福利厚生といえるだろう。
製品紹介
CSR
中工精機のCSR活動

当社内での献血活動
2020(令和2)年9月30日に初の実施以来、毎年実施している。
認証・表彰一覧
年表
社史100周年ロゴ
100周年ロゴに込めた想い
窯業の中心地である岐阜県美濃地方で、先人たちが100年前からつくり続けてきたボールミル。
100の0を真円にすることでボールミルの最も中心的な役割である「缶体」を表現しました。

編集後記
中工精機100年史編纂を終えて
創業100周年記念行事の一環として社史を発行するため、本プロジェクトは2023(令和
5)年1月にスタートしました。当社の社史は、今回の100年史が初めてとなります。
このたびの中工精機100年史では、編纂に当たり以下の骨子を掲げて取り組みました。